2024年大河ドラマ「光る君へ」の1回目の放送終盤で玉置玲央さん演じる藤原道兼の行動がすぐに話題になりました。
なんと刃傷事件が起きていました。
主人公まひろ(後の紫式部)の母親ちやはが、まひろの目の前で藤原道兼に惨殺されてしまいました。
しかし、これは当時の貴族のあり方としては不自然であり得ない設定といえます。
そして今後の紫式部と藤原道兼の関係、そして道兼の死因、死に方の様子が見えてきたような気がします。
今回は藤原道兼の現代に伝わる様子と私が感じた違和感を書いてみたいと思います。
藤原道兼とは
藤原道兼は961年藤原兼家と時姫の間に生まれた二男です。
生まれたころ、父の兼家は兼家の兄の藤原兼通(かねみち)と壮絶ともいえる権力争いの真っ最中でした。
そして結果として兄兼通に打ち勝った兼家は政界の頂点であり、一族の中で氏長者(うじちょうじゃ)として一族の中でも権力の中枢にいたのです。
打ち勝った兼家は子供たちを政治の道具にしたり出世させるためにありとあらゆる策略でさらなる権力基盤を築いていくことになります。
藤原道兼の見えていた景色とは?
兼家の母親は時姫という名前が残っていることからもわかる通り、時姫の父親という人は要職を歴任している藤原の中正の娘として生まれたと言われています。
当時は女性の残ることはほとんどなく、「○○の母」とか「○○女」など自分の子供の母かだれだれの女(娘)などという言われ方がほとんどでした。
それなりに力のある家の出身だったということです。
さらに道兼の父の兼家が権力抗争に勝てたおかげで道兼はその恩恵にあやかれたはずです。
当時は母の身分で子供の立場が変わったので、道兼は大いに恵まれた環境を受けていたはずです。
順調に出世していく道兼ですが、兼家と時姫の二番目の子供で兄に藤原道隆がいました。
兼家は道隆を優遇します。
道隆は今に残る資料にはイケメンな上に、非常に優秀で、いろいろな人から慕われていたという事です。
道兼にとって兄の道隆は邪魔な存在でした。
これは「光る君へ」の中でも表現されていましたね。
鬱屈した道兼の性格やその立場が見ているものをハラハラさせましたし、母親の時姫の気持ちや、父親の兼家への不信感が見るものにいろいろな感情を起こさせました。
何かが起きる伏線がバリバリある様子で、今後のドラマが気になる演出でした。
道兼は光る君への中で残虐非道な暴君として表現されていましたが、あの状況ではその哀れぶりが胸に詰まるところもあります。
いろいろな資料を見ると、この状況は史実に近い内容だったようです。
父親の兼家の道隆に対する優遇度合い。
父親の兼家の道兼への冷遇ぶり。
これらは史実に近かったようです。
現代に伝わる道兼像
このころの資料に栄花物語というものがあります。
そこによると、道兼は容姿も醜い上に粗暴だったようです。
これは今回の「光る君へ」の設定は沿わせていますね。
さらに父親からの承認欲求も強めで、さらに父親は疎まれていました。
なんともかわいそうな道兼です。
貴族は穢れを恐ろしく嫌っていた
今回、違和感を感じたのはドラマ終盤の道兼の行動です。
主人公まひろの母親のちやはを殺害したシーンでした。
感情の起伏の激しさを表現したかったのかもしれませんが、貴族が自ら手を下すなどという事は通常は考えられません。
死の穢れへの恐怖感
貴族の屋敷にはたくさんの使用人がいましたが、病気などで弱ってくると宿下がりをさせて,自分の屋敷では死ぬことを許しませんでした。
死にそうな病人を平気で河原に捨てに行くなどという事は、平安人には普通の事だったっようです。
犬の死骸ですら、穢れと言って捨てに行くのでした。
貴族自ら刀で人を切ることはあるのか?
そんな平安貴族の一人である、道兼が直接手を下すのは、自ら穢れの原因を作ることになりますし、ましてや頭から穢れを被るようなことを、通常はしません。
本来ならば、家臣や下人に「切って捨てよ」といって人にさせていたでしょう。
その辺りは今後の伏線になっていくのでしょうが、ちょっと違和感がありました。
紫式部の母の事
史実では紫式部の母親は紫式部が6歳までで他界していたということでした。
光る君への中ではちやは死亡時には10歳くらいでしたから、少しずれていますね。
史実では弟の出産時に他界していたとの説もあり、それも伏線上のなにかが隠れているのかもしれません。
まとめ
今回は光る君への藤原道兼の事について書いてみました。
一回目からの今後の伏線がたくさんあって興味深かったですね。
今後の放送が楽しみです。