2024年の大河ドラマ「光る君へ」が放送されていますね。
すると、麻呂眉の話題がにわかにネット上で話題になっています。
光る君の誰も麻呂眉じゃない…というのが主な話題のようです。
そもそも麻呂眉はなぜあんなにも平安時代のメイクの象徴のように思われているのでしょうか。
現代に生きる私たちからすれば麻呂眉はコメディアンの象徴でしかありません。
なぜなら志村けんのバカ殿がしていたメイクだからです。
そんな麻呂眉について書いていきたいと思います。
麻呂眉とは
麻呂眉とは正式な呼び方ではありません。
正式には「引き眉」もしくは「置き眉」というのが正しいです。
しかし、麻呂というのを平安貴族のことをイジル場合に使われ、転じて象徴的なあの眉の書き方を「麻呂眉」というようになったようです。
本来ある眉毛を抜くか剃るかして出来上がるとありますが、抜くのが正しいです。
なぜ抜くのが正しいのか?
後述しますが、麻呂眉の起こりは奈良時代です。
剃る場合には鋭い刃物が必要になりますが、それほど製鉄技術も剃刀を作る技術も発達していなくて、しかも今ほど消毒の術があったわけではありません。
剃ってしまって、傷をつけて、そこから化膿したら当時は破傷風などで命取りになります。
夜の爪切りが親の死に目に会えない理由
実際に現代でも「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」といいますが、昔は現在の爪切りではなく、お裁縫などで使う昔ながらの握りばさみを使って爪切りを行っていました。
夜、明かりが乏しい平安時代に握りばさみで爪切りをしていては、うっかりけがをしてしまうこともあったはずです。
そこから化膿して命を落とす…なんてことは日常にあったことでした。
夜に爪を切って親の死に目に会えないのは、化膿して自分が親より先に死んでしまうからという意味です。
これは何よりも親不孝になりますから、刃物に対しては今の時代に生きる人たちよりも敏感に反応して気を付けていました。
そのような理由で剃るより、抜く方がまだ安全でしたし、抜くことを繰り返す事によって、毛管が壊されて、生えてきにくくなるのも好都合でした。
麻呂眉とセットでつかわれるのがおしろいです。
今ほどいいファンデーションがあるわけではありませんから、眉毛はそのおしろいの邪魔でしかありませんから、生えてこない方がよかったようですね。
麻呂眉はいつからはじまった?
先にも書きましたが、麻呂眉は奈良時代が発祥です。
その頃は平安時代の楕円形ではなくて、もう少し現代の眉に近かったようです。
その後平安時代中期になると、私たちが知るところの楕円形の麻呂眉になっていきます。
麻呂眉にする年齢は?
麻呂眉は成人の証です。
平安時代は12歳から16歳くらいから行われました。
男子は元服、女子は裳着の祝いを境に施されたとされています。
麻呂眉メイクのメリットとは?
麻呂眉をだれが始めたのか、その資料はないのですが、平安時代以降の美意識として眉と目が離れている方が美形と判断されていました。
現代はおでこが広い方が美形とされていますから、現代とは美意識がずいぶん違いますね。
ちなみにこの麻呂眉は男性側から始まったようです。
メリットをみるとその理由も見えてきます。
麻呂眉にするメリット①「表情を読まれにくい」
顔の眉から口までには複雑に絡みあった表情筋があります。
「眉をひそめる」「眉目秀麗」「目は口ほどにものをいう」「目は心の窓」など少しの感情の動きがその周辺の筋肉からばれてしまいます。
貴族社会は腹の探り合いの文化です。
腹の探り合いから麻呂眉に発展したのか、その逆なのかそれはわかりませんが、自分の考えていることを相手に知られてしまうことは、政治生命の命取りになりかねませんでした。
おでこに眉を描くことで、おでこには表情筋はありませんから、眉から手の内をさらす事にはなりにくかったようです。
ですから、男性側から始まった文化になっていったのだと思います。
麻呂眉にするメリット②「身分や立場が分かりやすい」
貴族社会は身分社会です。
もちろんその後も身分は存在していましたが、より厳しく身分を区別されていました。
その身分がわかりやすくするため、おしろい、麻呂眉、お歯黒の3点セットを貴族社会では重要な事でした。
相手が自分より身分が下か上かで判断をするには重要な3点セットだと言えます。
ちなみに眉を抜くことは平民もしている人が多かったのですが、眉を描かずにいることを「下衆(げす)」といいました。
おしろいも、お歯黒も高価だったために、していない人は貧乏だとレッテルを張られたようです。
虫愛ずる姫君の話
堤中納言物語の中の一話にこのタイトルの話があります。
上流貴族に求婚されている姫君は、虫が大好きでした。
何度か文のやり取りはするものの、なかなか詰められないその関係に上流貴族はモヤモヤしながら、その姫君を垣間見に(のぞき見に)行きます。
すると姫君は「眉も引かず。お歯黒もしていない。」として、かわいいとか思うものの、返歌の文が姫からのものでなかったことが判明して、去っていく。というようなお話です。
ここでも、眉毛が麻呂眉じゃなかったことが起因して、恋が終わっていきます。
それくらい眉毛重要だったんですね。
そして、その在り方によっては貴族の精神性を疑われかねないようでした。
既婚か未婚か
これは江戸時代になってからが多いようですが、既婚者か未婚者かの判断にもなっていたようです。
江戸時代は髪型でも未婚、既婚かによって違いがありました。
江戸時代は儒教の教えがありましたから、不倫関係には厳しかったのでそれも大きくかかわっていたのではないかと思います。
麻呂眉にするメリット③「感情を押し殺すという美徳に支配されていた」
感情を押し殺すことに美徳を感じてきた日本人でした。
顔に感情がダダ洩れでは美徳の意識に反する事になるため、それもあって麻呂眉が広まっていったようです。
麻呂眉にするメリット④「暗い屋敷内に過ごすことが多かったから」
麻呂眉だけではなく、おしろいで顔を真っ白に塗り、お歯黒を施した顔は現代から見れば奇妙なだけではなく、恐ろしく、不気味でもあります。
暗い室内で真っ白い顔の眉毛のない人がいて、お歯黒を施した口がニタリと笑ったら?想像しただけでも現代を生きる私たちは気味悪いものですが、その当時の人は「色白は七難隠す」というような思い入れがあったのかもしれません。
現代の明るさを自分で調節できる私たちとは違い、暗い室内で少しでも美しく、身ぎれいに見せる古人たちの生活の知恵だったようです。
現代で麻呂眉メイクをしていない理由とは?
奈良時代から江戸時代までおよそ1000年近く市民権を得ていた麻呂眉ですが、明治時代になるとする人はいなくなりました。
それは明治時代になり、西洋化を目指した明治政府が禁止令を出したからです。
明治3年太政官布告でお歯黒と麻呂眉が禁止されることになりました。
明治6年昭憲皇太后が率先して止めたことで、次第にする人がいなくなりました。
もし、その太政官布告が出されていなければ、私たちも今でも麻呂眉、真っ白い顔でお歯黒をしていたかもしれません。
常識や美意識は時代によって、状況によって変化するということですね。
まとめ
光る君へのなかでは誰一人として麻呂眉はいませんでした。
それでも同じ大河ドラマの「平清盛」の中では貴族は麻呂眉だったのですが…あの俳優の山本耕史さんも麻呂眉でした。
麻呂眉が長く市民権をえていたにも関わらず、今ではコメディアンにしか使われていないのは残念なような気がします。