平安時代、才女として知られる清少納言は、その才能で多くの人を魅了しています。
しかし、知的な清少納言のイメージとは裏腹に、彼女は髪の毛に関するコンプレックスを抱えていました。
美へのあこがれが確実に彼女の中にもあったのです。
当時、女性の美しさは長い黒髪に象徴されていました。
時代が変わっても美しい基準は髪型にあったりします。
美の基準が現代とは違い、髪の毛の長さだったり、濡れ羽色の髪という言葉に象徴されるように平安時代は髪の毛の状態でその人の美しさを計っていました。
例えば、当時の貴族の乗り物に牛車がありますが、そこで牛車のすだれの下から合わせている着物の裾と合わせて長い髪の毛をチラ見させて、美しさをアピールしていました。
そんな貴族社会であって、清少納言は生まれつきくせ毛で、理想とされる髪型を維持することが困難だったのです。
ここでは、清少納言の髪へのコンプレックスと、なぜ平安時代の人が髪の毛の美しさに執着したのかを書いていこうと思います。
平安時代の美の基準:長い黒髪こそが美しい

長い髪の毛でまっすぐなストレートヘアは美の象徴でした。
髪の長さは女性のステータス
平安時代において、女性の美しさは長い豊かでつやつやな黒髪に象徴されていました。
髪の毛が長いと労働はできませんから、それは貴族などの特権階級というステータスの現れでした。
長い髪を持つことは高貴な生まれであることの証でもありました。
藤原道長の娘たちは3人入内していますが、みながみな、自分の身長よりも髪の毛の方が長かったようです。
一説には髪の毛を切ることで、呪術的な要素…家の繁栄にかかわることもあったようです。
平安貴族のお風呂
当時の貴族女性たちは、髪を洗う頻度が低く、月に1回程度だったと言われています。
しかも長い髪の毛のせいで乾くまでにも時間がかかり、一日仕事だったようです。
平安貴族の女性のシャンプーの仕方は、川べりで横になり、流れる川で頭を洗ってもらうのが常でした。
現代のように質のいいシャンプーどころか、石鹸などもありません。
川で髪をゆすぐ感覚が近いですね。
そんな生活ですから、お風呂に入る習慣もなかったと言われています。
いまから考えると不衛生極まりないです。
しかもかなり体臭もあったんじゃないかと…。
無理…。その世界観。
平安貴族の髪の美の形
そのため、髪を長く保つためには、毎日の丁寧なブラッシングとヘアケアが必要でした。
理想とされる髪型は、腰まで伸びた長い髪を後ろに垂らした「垂髪(すいはつ)」でした。
髪にはお香で香りを焚きしめて香りを移したり、、櫛で丁寧に梳いたりすることで、光沢と香りを保ちました。
庶民はどうだったのか?
貴族の女性の様子に対して庶民はどうだったのか?
庶民は川で水浴びをしていて、貴族たちよりは洗い流すという点では衛生的だったかもしれません。
しかし、あまりきれいな川の水もないようで、その川には死体なども投げ込まれている場合も多くあり、今に生きる私たちには想像がつきにくい入浴風景だったようです。
清少納言の葛藤
そんな貴族世界の中で清少納言もまた、長い黒髪を持つことを憧がれていました。
しかし、生まれつきくせ毛だったために、理想の髪型を維持することが困難だったのです。
現代なら、そのくせ毛を生かした髪型もたくさんあるでしょうが、当時の貴族女性の髪形は、芸もなくただ長いだけで、その長さを競っていたようです。
清少納言の髪へのコンプレックス

清少納言の髪の毛のあこがれは枕草子にたびたび出てきます。
枕草子に綴られた葛藤の様子
清少納言は随筆『枕草子』の中で、自身の髪へのコンプレックスを率直に綴っています。
153段 うらやましげなるもの では
髪いと長く麗しく、下りばなどめでたき人。(うらやましい人、髪が長く麗しく、髪の毛のたれ具合がいい感じの人)
などと言っています。
いかに長く、麗しい髪の毛を羨ましがっていたかがわかります。
このような率直な物言いは、彼女の善さであり、彼女のみずみずしい感性が伝わってくるようです。
くせ毛の髪をどうしたのか?
清少納言は、髪へのコンプレックスを克服するために様々な努力をしました。
香油を付けてみたり、また仕えていた定子に香油をもらいつけてみたけど、やっぱりくせ毛は直らなかったというようなことを書いていたり…。
文章だけ書いていただけじゃなくて、やっぱり清少納言は生きていて、リアルな悩みがあったんだなぁと感動すら覚えます。
清少納言と聞くと歴史上の人物という事しか感じられないけど、髪の毛で悩んでいたなんて、清少納言もリアルな人間だったんだなって思いませんか?
死者の髪で作る「かもじ」
清少納言は、髪の長さを補うために「かもじ」と呼ばれる髪飾りを使っていました。
かもじとは現代の感覚で言えば、ウィッグですね。
現代ではポリエステルなどの毛が多いようですが、当時のかもじは、死者の髪で作られたようです。
芥川龍之介の「羅生門」では老婆が死者の髪の毛をむしって歩く場面があります。
現代の感覚からすれば、死者の髪の毛?気持ち悪い…と思うでしょうが、当時としては高価なものでした。
清少納言は、かもじを髪に挿すことで、理想の髪型に近づけようとしました。
死者の髪でも頭にのせて美を追求するなんて、なんて人間らしいんだろうと思います。
平安時代も現代も女性の髪は命です
平安時代の姫君たちはどんな努力をしてたんでしょう?
かもじでわかる現代と平安時代の美への気持ち
清少納言の髪へのコンプレックスは、現代人にも通じる美の基準と言えます。
外見に悩むことは誰にでもあり、髪の毛は美を表す大きな要素です。
それを克服して自分自身を受け入れることは、大きな自分への自信になるのかなと思います。
清少納言をはじめとして、平安時代に生きた女性たちはどんな気持ちで頭にかもじを乗せたのでしょう。
そこには美しくなりたいという気持ちしかなくて、それは今を生きる私達にも通じる心ですよね。
もちろん死者の髪の毛を乗せたいとは思いませんが。
清少納言の悩みが枕草紙をうみだしたのかもしれない
清少納言は、自身の髪へのコンプレックスを乗り越え、随筆家として現代でもその名を残しています。
清少納言が宮中に上がった時はくせ毛を恥じるだけのようでしたが、定子のそばで過ごすうちに、自分への美の意識が向くようになります。
彼女の生き方は、外見にとらわれず、内面の美しさを追求したからこそ、枕草子という現代でも読まれる最古の随筆となったのだと思います。
美しい髪の毛へのあこがれはいつまでも続くよどこまでも
平安時代の美の基準は、長い黒髪でした。
しかし、時代とともに美の基準は変化し、現代では多様性が尊重されるようになっています。
清少納言の行動は、美の基準がいかに時代によって変化するのか、そして真の美しさとは何かについて考えさせられます。
変化しても女性の美の基準はやっぱり髪の毛も重要な要素だったりします。
清少納言の髪へのコンプレックスと、それを乗り越えようと努力する姿は、現代人にも多くの共感を与えてくれます。
現代人にも多くの示唆を与えてくれる今回のお話…です。
彼女の生き方を参考に、自分自身の人生をより豊かに過ごしていきましょう。
まとめ
清少納言は、才女として知られる一方で、髪の毛に関するコンプレックスを抱えていました。
しかし、彼女は自身のコンプレックスと向き合い、工夫と努力によって美しさを追求しました。
清少納言の物語は、平安時代の美の基準と現代に通じる普遍的なテーマを探求する上で、貴重な資料となります。
彼女の生き方は、現代人にも多くの美への気持ちのなにかを与えてくれるんじゃないかと思えます。