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幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)守給・幸給とは? 出雲大社と「たけふりはらえ」との深い関係

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幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)・守給(まもりたまえ)・幸給(さきはえたまえ)――
これらの言葉を目にして、「どう読むのだろう」「いったい何を意味しているのだろう」と感じませんでしたか?

私も、少々スピリチュアルな世界を勉強しているんですが、その中でこの言葉に出会ったときに、これなんなの?ってものすごく不思議に思っていました。

祝詞や祓いの文脈で見かけるものの、詳しく説明されることはあまりなく、どこか神秘的な印象だけが残りがちです。

これらは、出雲大社に伝わる祓い言葉の一部であり、単なる願い事や呪文ではなく、人の内側の在り方や生き方に深く関わる思想やその表現を表す詞・・・というとイメージしやすいかもしれませんね。

幸魂・奇魂は魂の「働き」を表す言葉であり、守給・幸給は、その働きが正しく現れるよう整えるための祈りの言葉です。

本記事では、それぞれの意味を一つずつ丁寧にひもときながら、出雲大社の信仰の中でなぜこれらの言葉が大切にされてきたのかを見ていきます。

また、同じく祓いの言葉として知られる「たけふりはらえ」との関係にも触れ、外側を祓う言葉と内側を整える言葉がどのようにつながっているのかを整理します。

言葉の背景を知ることで、祓い言葉は特別な人のためのものではなく、日々を落ち着いて生きるためのものって考えてほしいと思います。

 

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幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)とは何か

幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)という言葉は、出雲大社をはじめとする神道の文脈で語られてきた魂の「あり方」ではなく、「働き」を示す言葉です。
現代ではあまり耳にしませんが、古くから人の内側を理解するための重要な考え方として用いられてきました。

神道における「魂の働き」という考え方

神道では、魂は一つの固定した性質ではなく、状況に応じて異なる働きを見せるものと考えられてきました。
その代表的な分類が、和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)であり、さらに深い働きとして語られるのが幸魂と奇魂です。

ここで重要なのは、
「良い魂・悪い魂」という区別ではなく、
どのような方向に力が働いているか
という視点です。

幸魂と奇魂は、人が生きていく中で必要となる二つの異なる力を表しています。

幸魂(さきみたま)の意味|恵みを育て、整える力

幸魂(さきみたま)とは、物事を穏やかに育て、安定させ、恵みをもたらす働きを指します。
「幸(さき)」という字が使われている通り、突然の幸運というよりも、時間をかけて実る幸せに近い概念です。

たとえば、

日々の積み重ねが少しずつ形になる

人間関係が穏やかに深まっていく

心が落ち着き、判断がぶれにくくなる

こうした状態は、幸魂の働きが整っている姿といえます。

幸魂は目立ちませんが、人生の土台を支える力です。
出雲信仰において「結び」や「継続」が重視される背景には、この幸魂的な価値観があります。

奇魂(くしみたま)の意味|変化と突破をもたらす力

一方、奇魂(くしみたま)は、停滞を打ち破り、変化を起こす働きを表します。
「奇し(くし)」という言葉には、不思議・特別・常ならぬものといった意味合いがあり、奇魂はその名の通り、流れを大きく動かす力です。

奇魂が働くと、

思いがけない出会いが生まれる

行き詰まっていた状況に転機が訪れる

勇気を出して一歩踏み出せる

といった変化が起こります。

ただし、奇魂は強い力であるがゆえに、不安定さも伴うものです。
そのため、奇魂だけが強く働くと、落ち着かない状態になりやすいとも考えられてきました。

守給(まもりたまえ)の意味|魂の働きを正しく保つ祈り

ここで登場するのが「守給(まもりたまえ)」という言葉です。
守給は、幸魂・奇魂という魂の働きに対して、正しい方向を保つよう願う祈りの言葉です。

神道における「守る」とは、
何かを排除したり、閉じ込めたりすることではありません。
過不足なく、偏らず、その力が生かされる状態を保つことを意味します。

つまり守給とは、
「幸魂も奇魂も、行き過ぎず、必要な形で働いてほしい」
という姿勢を表す言葉なのです。

幸給(さきはえたまえ)の意味|幸せが“育つ”方向へ導く祈り

幸給(さきはえたまえ)は、幸魂の働きが実を結ぶよう導く言葉です。
ここで使われる「はえ(生え)」という表現は、非常に象徴的です。

幸せは、突然与えられるものではなく、
芽が出て、育ち、やがて形になるもの。

幸給は、即効性や奇跡を求める言葉ではありません。
むしろ、

今日の選択

日々の態度

積み重ねの方向

そうしたものが、良い形で「はえる」ことを願う言葉です。

出雲大社でこれらの言葉が大切にされてきた理由

幸魂・奇魂・守給・幸給という言葉が、なぜ出雲大社の文脈で語られてきたのか。
その背景には、出雲信仰が持つ独特の世界観があります。

出雲大社は、単に「願いを叶えてもらう場所」ではありません。
人と人、人と出来事、そして人の内面にある流れを結び、整える場として信仰されてきました。

出雲信仰における「結び」の思想

出雲大社といえば「縁結び」を思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、ここでいう縁とは、恋愛や結婚だけを指すものではありません。

出雲信仰における「結び」とは、

人と人の関係

人と仕事、役割

心と状況の流れ

といった、あらゆる関係性を正しい形に結び直すことを意味します。

そのためには、外側の状況だけでなく、人の内側が整っていることが欠かせません。
幸魂・奇魂という魂の働きが偏らず、適切に作用している状態こそが、「良い結び」を生む土台になると考えられてきました。

守給・幸給という言葉が添えられるのも、
「力そのもの」ではなく「力の向き」を大切にする、出雲的な発想の表れです。

出雲の祓い言葉が「願い事」ではない理由

出雲大社に伝わる祓い言葉には、
「こうなりますように」「これをください」といった直接的な願望表現がほとんど見られません。

それは、願いを否定しているからではなく、
まず自分を整えることが先にあるという考え方が根底にあるからです。

幸魂・奇魂・守給・幸給は、

何かを無理に引き寄せるための言葉

神に命令するための言葉

ではありません。

自分の内側の状態を見つめ、
「育てる力」「変える力」が適切に働くよう整えるための言葉です。

この姿勢は、出雲大社における祓いの考え方とも深くつながっています。
穢れを取り除くとは、悪いものを排除することではなく、
流れを正しい位置に戻すことなのです。

だからこそ、出雲では
幸魂・奇魂という魂の働きと、それを導く守給・幸給の言葉が、
ひと続きのものとして大切にされてきました。

「たけふりはらえ」との深い関係

これまで本ブログで紹介してきた「たけふりはらえ(布瑠の言)」と、出雲大社で大切にされている「幸魂・奇魂」。

この二つは、車の両輪のような関係にあります。

なぜこれらをセットで考える必要があるのか、その深い繋がりを紐解いていきましょう。

たけふりはらえとは何か|外側を祓い、流れを整える言葉

「場・状況・気配に働きかける祓い」

「たけふりはらえ」は、強力な「祓い(はらい)」の力を持っています。

これは主に、自分の「外側」や「環境」に対して働きかけるエネルギーです。

私たちの周りには、知らず知らずのうちに停滞した空気や、他者の思念、あるいは自分自身が発したネガティブな「気」が澱(よど)みとして溜まっていきます。

たけふりはらえは、そうした場や状況に溜まったノイズを強力に振り払い、気の流れを正常化させる、いわば「空間のクリーニング」の役割を担っています。

幸魂・奇魂・守給・幸給が担う役割|内側を整える言葉

「心・意識・行動の向きに働きかける」

対して「幸魂・奇魂……」の言葉は、自分の「内側」へと向かうエネルギーです。

環境をどれだけ綺麗に掃除しても、住んでいる本人の心(魂)が乱れていては、再び澱みが生じてしまいます。

幸魂・奇魂は、自分の中にある「愛」と「智」という二つの資質を自覚すること。

守給・幸給は、その資質を正しく運用しようとする意志の表明です。

外を掃き清めるのが「たけふりはらえ」なら、内に明かりを灯し、進むべき方向を定めるのが「幸魂・奇魂」の役割なのです。

外と内を整えるという共通思想

「なぜ併せて語られるのか、出雲的な全体観」

なぜ、これらを併せて行う必要があるのでしょうか。

それは、神道、特に出雲的な価値観において「外(環境)」と「内(心)」は分かちがたく結びついていると考えられているからです。

環境が整えば心は落ち着き、心が整えば環境に変化が表れる。

この循環をスムーズにすることが、人生の質を高める鍵となります。

「たけふりはらえ」で余計なノイズを遮断し、「幸魂・奇魂」で内なる神性を呼び起こす。この「外からの浄化」と「内からの調和」の統合こそが、古来伝わる知恵の本質なのです。

現代における受け取り方|スピリチュアルに寄せすぎない解釈

こうした言葉を扱う際、私たちはつい「唱えるだけで奇跡が起きる」という神秘性に期待してしまいがちです。

しかし、本来の意義はもっと現実的なところにあります。

言葉が心に作用する理由

「意識の焦点化と行動への影響」

特定の言葉を繰り返し唱えることは、心理学的に見れば「意識の焦点化」を意味します。 「幸魂(愛・安定)」や「奇魂(智・突破)」という言葉を口にすることで、脳はそのキーワードに関連する情報を探し始めます。

穏やかな人間関係を築くためのヒントに気づく(幸魂の活性)

行き詰まった状況を打破するアイデアが閃く(奇魂の活性)

言葉が魔法をかけるのではなく、言葉によって自分の意識が切り替わり、結果として「選択」や「行動」が変わっていく。

これが、言霊が現実を動かすメカニズムです。

唱えることの意味と向き合い方

「効かせようとしない、整えるために用いる姿勢」

この言葉を用いる際に最も大切なのは、「何かをコントロールしようとしない」ことです。 「この言葉で状況を動かしてやろう」という執着は、それ自体が新たな「澱み」となります。

むしろ、「今の自分をあるべき状態に戻す」という、チューニング(調律)のような感覚で用いるのが正解です。

欲を込めるのではなく、楽器の弦を締めるように、淡々と、静かに唱える。その「整える姿勢」そのものが、あなたに平安をもたらします。

まとめ|祓い言葉は人生を動かす「呪文」ではない

「幸魂・奇魂 守給 幸給」という言葉、そして「たけふりはらえ」。

れらは決して、自分以外の誰かや運命を無理やり操るための呪文ではありません。

幸魂・奇魂の本質: 自分の中に備わっている「育む力」と「見通す力」を信じること。

たけふりはらえとの関係: 外側のノイズを払い(たけふり)、内側の光を整える(幸魂・奇魂)という相互作用。

大切なのは、言葉を通して「自分を整え続ける」という考え方です。

心が乱れたとき、あるいは新しい一歩を踏み出したいとき。これらの言葉を静かに唱え、自分という器をクリアにしてみてください。

整った器には、自ずと新しい風が吹き込み、ふさわしい実りが「生えて」くるはずです。

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