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紫式部邸宅跡と同年代を生きた女流歌人達のゆかりの地

紫式部像
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2024年大河ドラマは「光る君へ」です。

紫式部の生涯を描くドラマに今までにはない期待が集まっています。

しかも女性の主人公の大河ドラマは7年ぶりという事でさらに注目されているようです。

 

紫式部と言えば、源氏物語を執筆した平安時代を代表し今でも世界中で読まれている文学ですが、その執筆者である紫式部の本当の名前さえわかっていません。

今回はその紫式部の邸宅跡とその同年代を生きた女性たちを中心にゆかりの場所を書いてみたいと思います。

 

紫式部と同年代を活躍し生きた女性達

紫式部紫式部

紫式部と同年代を生きた女性歌人は?

ここでいう女性たちは市井の女性ではなく、歌人や女性作家を意味していきます。

その歌人は3人だと思います。

・清少納言

・和泉式部

・赤染衛門

です。

 

ではそれぞれの事を簡単に解説します。

清少納言

清少納言とされる画ウィキペディアより清少納言とされる画ウィキペディアより

清少納言、詳しくは知らなくても名前は聞いたことがあると思います。

紫式部の「紫式部日記」にもその名前が出てきます。

「したり顔で漢文が読めますみたいな顔してるけど、中身はスカスカでよく知らないことも多いんじゃない??」みたいに悪口を書いています。

清少納言の方が少し年上と言われていますが、生没年がよくわかっていません。

大体966年くらいに出生という説が有力で、1025年あたりが没年という事が伝わっています。

代表作は「枕草子」「女房三十六歌仙の一人」「清少納言集」など

和泉式部

和泉式部ウィキペディア和泉式部ウィキペディア

977年ごろに出生したと言われていますが、没年はまったくわかっていません。

しかも晩年に娘を亡くしていて、亡くしてから読まれた歌は和泉式部の慟哭をきいているようです。

歌も直感的でわかりやすく、天才肌的なイメージがもたれていますが、私個人の感想としてはとても素直で情熱的な方だったと思います。

イメージ的には紫式部とは正反対の性格だったんじゃないかと思っています。

恋には奔放で、恋多き女性だったようです。そのため藤原道長に「浮かれ女」とか言われていても本人はあんまり気にしていなかった様子ですが、それは外から見てもわからないことですよね。

一つ言えることは、素直でなんにでも一生懸命な女性だったんだろうなと思います。

代表作としては「和泉式部日記」「女房三十六歌仙の一人」「百人一首の歌仙の一人」など

赤染衛門

赤染衛門ウィキペディア赤染衛門ウィキペディア

女流歌人はみなさん恋に奔放なイメージがあると思われますが、この赤染衛門さんは結婚した方ともオシドリ夫婦と言われていて、物静かな印象があります。

残された歌にもその人柄が出ていて、読むと穏やかな気持ちになります。

恋の歌が多かった時代に、恋の苦しさを歌いつつ、月夜のあける情景を歌ってみたり、その風流さは女性の感性に深くささると思います。

 

年齢は他の方々に比べて少し年上のようで956年ごろに生まれて、1041年ごろに亡くなったとされています。

いろいろ女性歌人との交流も文書上で見られて、当時にしては交流範囲の広い方だった印象です。

特に和泉式部との交流は多く散見されています。

 

代表作としては「赤染衛門集」「百人一首の歌仙の一人」「栄花物語の作者として有力視されている」

 

紫式部邸宅跡

蘆山寺HPより紫式部歌碑蘆山寺HPより紫式部歌碑

紫式部の略歴

生没年は不詳ですが、970年くらいに生まれたんじゃないかと言われていて、1019年くらいに亡くなったとされています。

言わなくてもご存じの通り「源氏物語」の作者です。

 

漢文に通じていながら、それをあまり人に知られたくないとしながらも、人前で少しだけ知識をひけらかし、それを自分の紫式部日記などに書いて自慢しているようにも見えます。

そしてあまり社交的ではなかったようですし、同僚の女房からの嫌味やいじめに悩んでいたようで、働く女性の悩みは古今関係ないようです。

清少納言と対極の存在として現在まで存在し、私たちの興味を掻き立てている存在です。

 

しかしその晩年はあまりに静かすぎるようで、よくわかっていません。

 

代表作「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」など

紫式部像
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紫式部と同年代の女流歌人たちのゆかりの地

平安時代の日常風景平安時代の日常風景

紫式部編

蘆山寺

正式名称は「廬山天台講寺」といい天台宗系円浄宗の総本山です。

昭和41年に紫式部の邸宅跡の遺構を考証されて、紫式部の邸宅跡と記念碑が建てられました。

紫式部の庭が一緒に造られて、桔梗がきれいに咲く庭として有名です。

もちろん四季折々の花が咲く庭としても美しいです。

 

桔梗とは源氏物語の中で朝顔がでてきますが、それは現在の桔梗のことでそのゆかりで桔梗の寺となったようです。

6月下旬から9月くらいまでが見ごろのようです。

 

蘆山寺情報

場所 京都市上京区寺町通広小路上る北ノ辺町394

蘆山寺地図蘆山寺HPより蘆山寺地図蘆山寺HPより

電話 075-231-0355

開所時間 9時から16時

石山寺

ここは紫式部が源氏物語を書くのに着想を得た寺と伝わっています。

私も行ったことがありますが、そこに行けば当時の景色が目に浮かぶような空気感です。

おススメは夕方に参拝されるといいですね。

昔日の様子が夕日と合い、美しさが際立ちます。

石山寺は月の名所でもあります。

観月会なども開催されているようなので興味のある方はぜひ参拝してみてはいかがでしょうか?

 

境内はとても広く、普段喧騒の中にいる現代人には日常を忘れられる非日常を感じることができる場所です。

場所 滋賀県大津市石山寺1-1-1

門前のお店もいろいろあって楽しいです。

電話 077-537-0013

開山時間 8時から16時

 

和泉式部、清少納言ゆかりの地

誓願寺

浄土宗西山深草派の総本山です。

ここは和泉式部、清少納言が帰依したお寺です。

特に和泉式部は子供を亡くして、辛かった時にこの寺にこもって菩提を弔っていたようですし、この寺で極楽浄土を願っていたのだと思います。

愛する人にひたむきで、とてもモテモテだっただけに、好きだった人の思い出に浸っていたんじゃないかと思います。

 

誓願寺は現在も女性往生の寺として存在し、女性を温かく導きお守りくださっています。

 

場所 京都市中京区新京極通三条下る桜之町453

電話 075-221-0958

開所時間 9時から17時

 

まとめ

かつて女流歌人として名をはせた女性達。

最後はやはり仏の道に救いを求める方が多かったようです。

今回は紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門の総集編タイプでご案内しましたが、違う機会に別ページでご案内したいと思います。