鳥山検校は五代目瀬川を身請けするために1,400両(現在の価値で約1億4,000万円)を支払ったと言われています。
この金額は当時としては非常に高額で、大きな話題となりました。
でも、これって突然鳥山検校が五代目瀬川に身請けするって言ったわけではなくて、そこにたどり着くために巨額の金品と日数が必要でした。
吉原で花魁と遊ぶという事
吉原で遊ぶってお金がたくさんいるんじゃない?って思いますよね。
でもその具体的な金額って知りませんよね…。
てか、考えたこともないし~ってとこだと思います。
でも、ここで知っておけば、タイムスリップして吉原に行くことになっても、失敗することはないはずです。
花魁との交際プロセス
初会(しょかい)
花魁との最初の面会。通常、紹介者を通じて行われ、高額な料金が必要。
すべて金次第の世界になっています。
初会の流れ
費用の内訳
初会料: 数十両〜百両程度
茶屋での準備
上客の場合、まず引き手茶屋を通します。ここで予算や好みを聞かれ、適した花魁を紹介してもらいます。
酒宴
茶屋で酒宴を催します。この時点で費用が発生し、客の負担となります。
花魁の到着
酒宴の途中で、花魁が迎えに来ます。
引付座敷へ移動
「引付座敷」と呼ばれる特別な部屋に案内されます。
座席配置
花魁が上座に座り、客は下座に座ります。
これは花魁が客よりも上位であることを示しています。
距離を置いた対面
花魁は客から離れた場所に座り、直接的な交流は避けられます。
無言の対面
花魁は客と言葉を交わさず、飲食も共にしません。
品定め
この場で花魁は客を観察し、ふさわしいかどうかを判断します。
芸者の呼び出し 客は多くの芸者を呼び、派手に遊ぶことで自身の財力をアピールする必要があります。
金がない男のところには花魁は来てくれませんからね。
注意点
初会では床入りはできません。(たくさんお金払っているのに…なんて野暮ですよ!)
全ての費用は客持ちです。
この手順を経て、客が花魁に認められれば次の「裏」へと進むことができます。
初会は花魁との関係構築の第一歩であり、客の品格や財力が試される重要な機会でした。
通い
通い、つまり2回目以降の訪問の手順はこんな感じです。
通いの流れ
通い費用: 一回につき数十両、回数に応じて増加
贈り物: 高価な着物や装飾品など、数十両〜数百両
複数回の訪問を重ね、関係を深める。毎回の訪問には相応の費用が発生。
引手茶屋での予約
客は再び引手茶屋を通して花魁との面会を予約します。
裏の客
2回目の訪問では、客は「裏の客」と呼ばれます。
花魁の部屋へ
初会と異なり、客は直接花魁の部屋に案内されます。
接客
花魁はわずかに寛いだ態度を見せますが、基本的には初会と大きな違いはありません。
床花の贈呈
客は花魁に床花を贈ります。
付き添い遊女へのご祝儀
花魁付きの遊女にもご祝儀を贈る習慣があります。
馴染みへの昇格
3回目の訪問で、客は「馴染み」となります。
馴染み金の支払い
馴染みとなる際には、馴染み金を支払う必要があります。
床入り
馴染みとなった後、床入りが可能になります。
注意点
通いの段階では、まだ花魁との関係は浅く、花魁側は客を見極める段階です。
馴染みとなった後は、他の遊女に通うことは浮気とみなされ、詫び金を支払う必要がありました。
客の紋や表徳を示した箸や膳が用意され、花魁の部屋の茶箪笥に保管されます。
通いの段階は、花魁との関係を深める重要な過程であり、客の誠意と財力が試される期間でもありました。
ここでしっかりといい印象を花魁に与えることができれば…という雰囲気で客は誠意を見せて金と時間を費やしていったようです。
何回も通って、品定めされるってどんな気分なんでしょうね。
正直言って私には理解できません。
花魁と遊ぶ時の直接的な費用
揚げ代(あげだい)
花魁と親密に遊ぶ感じな時の費用。数百両から数千両程度。
この料金システムは江戸時代から続き、遊女の格式や時間帯によって金額が変動しました。
揚げ代の特徴
遊女の格式による変動: 太夫や格子など、遊女の階級によって金額が異なりました。
時間帯による区分: 同じ格式の遊女でも、昼、半夜、宵から朝までなど、時間で料金が分けられることもありました。
付随する費用: 揚げ代以外にも、禿(かむろ)や引舟、芸者へのチップ、飲食代なども必要でした。
具体的な金額例
安永4年(1775年)の「吉原細見」の史料があります。
これはちょうど蔦屋重三郎が25,6歳ころの時期になります。
太夫: 90匁(もんめ)
格子: 60匁
散茶: 金3歩
座敷持: 30匁
部屋持: 30匁(片しまひは15匁)1
それが延宝年間(1673-1681年)の例だとこうなります。
太夫: 43匁(現代の約6万円強)
天神: 28匁(約4万円強)
鹿子位: 16匁(約2万円強)
蔦屋重三郎が生きた時代より100年ほど前になるので、価格も半分くらいですね。
時代による変化
江戸時代後期になると、客層が武士から富裕な町人へと変化し、遊女にも手軽さが求められるようになりました。
宝暦11年(1761年)以降は太夫の称号を持つ花魁がいなくなり、最高位の新造つき呼出の揚げ代は金一両一分(現代の約10万円強)となりました。
価格やその身分や階級が遊女の中でも変化していったようですね。
注意点
揚げ代は単なる遊興費用だけでなく、遊女の借金返済や楼主の利益にも充てられました。
また、花魁との初回や2回目の接客では、揚げ代に加えて多くの付随費用がかかり、総額は揚げ代の数倍から10倍に達することもありました。
とにかく金が要る世界です。
庶民の生活に必要な金額とは?
では庶民はどれくらいの金額で生活してたのでしょうか?
実は1両あったら普通に生活できたんだそうです。
もちろん、年代が変わればその限りではなかったでしょうが、1両から2両になる程度の変化の差だったと思います。
それが吉原では1番で何十両以上のお金が動いていたんですから、どんなお金の使い方をされていたのかが、よくわかると思います。
まとめ
花魁と遊ぶって、基本的に金が必要だったという事はよくわかっていただけたと思います。
これからべらぼうの中で花の井やその以外の遊女たちの様子が見られると思います。
鳥山検校は幕府の許可を得て高利貸しを行い、多額の資産を築いていました。
この財力を背景に、瀬川との関係を築き、最終的に身請けに至ったと考えられます。
しかし、金の力で瀬川の身は手に入れても、その心までは掴めなかったようです。
べらぼうの中で推し遊女を見つけて、応援していきましょう。