江戸時代の第5代将軍・徳川綱吉は、生類憐みの令を制定したことは有名です。
内容として知られているのは、犬や猫などの動物の虐待を禁止、捨て子の禁止、行き倒れの人の保護など、動物愛護と社会福祉の向上に努めた政策は現代にも十分通用する大事な政策でした。
しかし、生類憐みの令は、当時はその政策に苦しめられたとされています。
それは過剰な規制がエスカレートして、多くの批判と反感を受けました。
そんな生類憐みの令はどのような政策だったのでしょうか。
今回はその意義と功績について考えてみたいと思います。
生類憐みの令の功績とは?
生類憐みの令は、江戸時代の第5代将軍・徳川綱吉が1685年に発布した政策です。
犬や猫などの動物の虐待を禁じ、捨て子の禁止や病気の人の保護など、動物愛護と社会福祉の向上に努めたものです。
後述しますが、その当時の江戸社会は大変殺伐としていました。
そんな中、儒教を学んできた綱吉が政策として「世の中を慈悲の世界」を徹底させることを重要としました。
その内容?
- 動物愛護の推進
- 社会秩序の維持
この2つがあげられます。
動物愛護の推進
馬の筋肉の切除禁止令
馬に乗ることが日常的であった武士たちはその乗り心地を改善するために馬の脚の筋肉に切れ目を入れることが度々行われていました。
これをすることで、馬の脚の皮は切れてしまうと、接合がむずかしく、死んでしまう例もたくさんあったようです。
これを悪癖と考え、禁止したのです。
武士による鷹狩の禁止
武士の演習が目的の鷹狩を禁止しました。
無益な動物の殺生などを禁止しています。
ここで重要なのは、職業として猟師や漁業には禁止とはしていません。
動物遺棄の禁止
昔は動物だけではなく、人ですら捨てていました。
不当に動物を遺棄することを禁止していました。
・動物に芸を仕込んで金を稼ぐことを禁止
これは現代でも芸を仕込んでショーなどがありますが、当時はもっと頻繁に行われていました。しかも飼われている動物は今では信じられないような劣悪な環境にあったようです。
・食用動物の生体販売禁止
いわゆる、活造りなどのものもそれに入ります。
生きたままの魚を売ってはいけなかったというものです。
社会秩序の維持
捨て子や捨て老人の禁止
当時の江戸社会は相当に貧しい人も多く、捨て子だけではなく、老人も捨てられました。
老人は現代でも伝わる「姥捨て山」などの昔話もありますが、あれは実話であちこちにあることでした。
当時はそれはなんの不思議もなく行われていたようです。
生類憐みの令ではそれらも禁止事項になっています。
捨て犬が減ったことで犬にかまれてけがを負うことが減った
江戸の市中には管理できていない野良犬が多くありました。
生類憐みの令の発布後は野良犬を犬屋敷とよばれる「御囲場」という収容所ができあがり、それによって人々の生活は安全になったとされています。
生類憐みの令の意義とは?
生類憐みの令は、犬や猫などの生き物だけではなく、幅広く生きている人を大切にすることで、社会秩序を維持しようとした政策の基本でした。
この政策によって、例えば、武士からのいたずらな殺生を受ける事もなくなりました。
なぜ生類憐みの令がうまれたのか?その背景にあるものとは?
5代将軍の時代は元禄文化が花開いた、江戸時代で一番豪華絢爛な時代でした。
しかし、平和な時代になったというのに、意識がまだまだ戦国時代のような無秩序な世の中で、武士による辻切りなどは横行していました。
あの水戸光圀も軒先にいた、貧しい人を切ったことがあるといっています。
それも理由なくです。
また当時は捨て子や行き倒れの人の放置はよくある事でした。
それらを禁止することで、高圧的で強硬的な武断政治から、仁心に基づく文治政治切り替えることができたのです。
そんな時代を外国人はどうみていたのか?
当時来日していたドイツ人のケンペルという人物がいるのですが、そこで著書「日本誌」の中で客観的に名君であると評価しています。
その内容とは、この法令は身分制度のあった江戸時代にその運用は公正な運用をされていたという点です。
身分を問わず、事情を考慮されている点について綱吉を高く評価されています。
徳川綱吉の死後の生類憐みの令は?
綱吉は後継者の家宣に生類憐みの令を残すように言いますが、そのほとんどが撤廃されています。
御囲場なども早々に、取り壊され、国民に対する税負担もなくなりました。
しかし、生類憐みの令の本来の目的であった。弱者に対する法令は残されました。
綱吉の文治政治は実を結んだのです。
まとめ
「生類憐れみの令」は動物福祉、過剰な動物への保護が注目され悪政といわれていますが、武士からの貧しい人への残虐な仕打ちも取り締まることもされていました。
戦国時代から続く、人々…特に武士などの特権階級に対して意識改革をしていたといえます。
その部分は廃止されることはなく、幕府の基本方針として継続されました。
その後できる小石川養生所などの救済措置にもつながります。
これは重要な功績だと思います。
「生類憐れみの令」以前とその後では、日本人の命に対する考え方・態度、姿勢確実に変化していきました。
そしてそれは現代にも通じる理念です。いまから400年も前にそのような理念を持っていた統治者がいたことに、私たちは誇りをもたねばなりませんね。