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耳なし芳一が平家の亡霊に選ばれた理由― 語り部という“役割”が招いた悲劇 ―

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なぜ今「耳なし芳一」が再び注目されているのか?
「耳なし芳一」という怪談は、日本人なら一度は名前を聞いたことがある物語でしょう。
盲目の琵琶法師が平家の亡霊に呼ばれ、最後には耳をもぎ取られる――
その強烈な結末だけが印象に残っている人も多いかもしれません。

しかし今、改めてこの物語が注目されています。
背景には、朝ドラ『ばけばけ』をきっかけとした小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)再注目されていますね。

八雲が描いた怪談は、単なる「怖い話」ではありません。
そこには、日本人の死生観、記憶のあり方、そして社会の中で生きる人間の役割が深く刻み込まれています。
平安期の話だけではなくて、この話は現代にも通じる怖さがあります。

その中でも「耳なし芳一」は、
なぜ彼だけが選ばれたのか
という疑問を投げかける、私には極めて不思議な作品に感じているんです。
少なくともなぜ耳なし芳一だけ?平家に好かれたの?と昔から思っていました。

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耳なし芳一とはどんな人物だったのか

芳一は、盲目の琵琶法師でした。
目は見えませんが、琵琶を弾き、平家物語を語る才能に長けていた人物です。
そしてその語りがとても素晴らしかったんだそうです。

ある夜、武士に導かれ、豪奢な屋敷で平家一門の前に立たされます。
でもこの時点で芳一は目が見えないハンデから、判断を誤ってしまいます。

気配はきらびやかなふんいきだったんですね。

そこで芳一は、壇ノ浦で滅びた平家の物語を語るよう命じられ、何夜にもわたって琵琶を奏でます。

この時の芳一の気持ちは「自分の語りがこれほどまでに感動をさせることができてうれしい。」という感じだったんじゃないかと思うんです。

やがて寺の僧たちは異変に気づき、芳一の体に経文を書いて守ろうとしますが、
耳にだけ書き忘れてしまった。

その結果、亡霊は耳を引きちぎり、芳一は「耳なし芳一」となった――
これが大まかな物語です。

小さいころこの話が怖いと思うと同時に、耳も聞こえず目も見えず、どうやって暮らしたんだろう?と疑問がのこっていました。

平家の亡霊はなぜ芳一に目をつけたのか

ここで浮かぶ最大の疑問があります。

なぜ、芳一だったのか?

周囲には人間が他にもいたはずです。
琵琶法師も、僧も、村人もいたでしょう。
それなのに、平家の亡霊は芳一だけを呼び続けたのです。

理由① 芳一は「平家を語る者」だった

芳一は、平家物語を語る語り部でした。
これは単なる職業ではありません。

平家物語とは、
滅びた者たちの記憶・・・平家一門の隆盛が描かれた栄枯盛衰のお話です。

亡霊にとって最も恐ろしいのは、忘れ去られること。
芳一は、無意識のうちに、平家を何度も蘇らせていた存在でした。

つまり芳一は、
亡霊を呼び寄せる「入口」そのものだったのです。

理由② 僧でありながら、守られていなかった存在

芳一は僧の身分にありましたが、厳しい修行僧ではありませんでした。
寺に身を寄せながらも、琵琶を弾き、語りで生きる――
聖と俗のあいだに立つ存在だったのです。

この中途半端さは、怪談において非常に危うい立場です。

完全な僧は守られ、完全な俗人はまだ距離がある。
しかし境界に立つ者は、霊にとって入り込みやすい。

芳一は、まさにその「隙」を抱えた存在でした。

理由③ 盲目という社会的弱さ

芳一は盲目でした。
見えないということは、物理的な弱さだけではありません。

日本の怪談において、
目が見えない・耳が聞こえない人物は「境界の人」として描かれることが多いのです。

さらにいえば、感覚が人より発達していて、ほかの人が感じられないものを感じる力があったりします。

この世とあの世の境目に近い存在。
亡霊にとって、最も声が届きやすい相手――
それが芳一だったとも言えるでしょう。

なぜ他の琵琶法師ではなかったのか

ここで重要なのは、
芳一が特別な才能を持っていたから選ばれた
という単純な話ではない、という点です。

平家を語る語り部であること

僧でありながら俗世に近いこと

社会的に弱い立場であること

これらの条件を、すべて同時に満たしていたのが芳一だった。

彼は選ばれたのではなく、
選ばれてしまう条件をすべて備えていたのです。

平家の亡霊は本当に「祟り神」だったのか

平家の亡霊は、無差別に人を殺す存在ではありません。
彼らが求めていたのは復讐ではなく、供養でした。

自分たちの物語を語り、聴き、覚えてもらうこと。
それこそが救いだったのです。

芳一は、その役割を果たしすぎてしまった。
語り続けることで、亡霊を呼び続けてしまったのです。

耳を取られた意味とは何だったのか

耳は「聞く」ための器官であり、
同時に「語りを成立させる」ために不可欠な部分です。

耳を取られるという結末は、
語り部としての役割を、身体ごと奪われた象徴でもあります。

語ることは、時に危険です。
記憶を呼び起こすことは、救いにもなり、呪いにもなる。

八雲は、その危うさを「耳」という形で描いたのではないでしょうか。

小泉八雲はなぜこの怪談を描いたのか

外国人であった八雲は、日本の怪談に強く惹かれました。
それは、日本の怪談が「恐怖」よりも
人間の役割と責任を描いていたからです。

耳なし芳一は、
善人であり、被害者であり、同時に媒介者でもある。

この複雑さこそが、八雲が怪談に見出した日本文化の核心でした。

現代に読み直す「耳なし芳一」の怖さ

この物語が今も怖いのは、
「誰にでも起こりうる話」だからです。

語ること、伝えること、覚えていること。
それらは尊い行為である一方で、
背負う覚悟がなければ危険でもある。

耳なし芳一は、その境界を越えてしまった存在でした。

『ばけばけ』と耳なし芳一のつながり

朝ドラ『ばけばけ』が描く小泉八雲像もまた、
日本文化を「外から」見つめた人物です。

耳なし芳一は、
八雲が日本の怪談に見た「人の役割と運命」を象徴する作品。

だからこそ今、改めて読み直す意味があるのです。

まとめ|芳一は「選ばれた」のではなく「条件を満たしてしまった」

耳なし芳一は、特別だったわけではありません。
むしろ、あまりにも普通で、あまりにも役割を果たしてしまった。

語る者であったこと。
境界に立っていたこと。
弱さを抱えていたこと。

そのすべてが重なったとき、
平家の亡霊は、彼を放さなかったのです。

ただそこにいて、条件があっただけでの被害だと考えるとなんとも複雑に感じますが、幸田サバ的考えはここにいたりました。

完全に幸田サバ的解釈なので、ご意見があればコメントよろしくお願いします。