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上杉鷹山の名言から学ぶ、仕事の成功と生き方を考える

細井平洲先生上杉鷹山公敬師の像
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はじめに

為せば成る為せば成る

 

上杉鷹山、この名前をご存じでしょうか。

ではこの名言をご存じでしょうか?

「為せば成る、なさねばならぬ、何事も、為さぬは人の為さぬなりけり」

意味は「すればできる、しなければできない、どんな事もできないのは人がしていないからだ」ということです。

これを見てあなたはどうおもいますか?

上杉鷹山という人のこと

1961年J・F・ケネディは記者に囲まれて質問を受けました。

その時に受けた質問の中に「尊敬する日本人政治家はいますか?」というものがありました。

その時にケネディは答えました。

「Yozan Uesugi」

上杉鷹山です。

この時、日本人で上杉鷹山を知っている人はごくわずかでした。

上杉鷹山の略歴

鷹山公の像鷹山公の像

上杉鷹山は、江戸時代中期の米沢藩主です。

藩主時代の名前は治憲としていましたが、藩主隠居後は鷹山と名乗り、今ではこの名の方が有名ですね。

米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られています。

生い立ち

上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)に、日向高鍋藩主・秋月種美の次男として江戸で生まれました。

10歳で米沢藩8代藩主・重定の娘幸姫の婿養子となり、17歳で家督を継ぎ、第9代米沢藩主となりました。

幸姫は発達障害があったとされ、30歳で他界するまでおままごとなどをして遊んでいるのを鷹山はその遊びに付き合うなど、とても大切にしたと言われています。

10歳で見知らぬ、北国の土地で養子に入り、頼れる人もいなかった少年時代はどれほど心細かっただろうと思います。

藩政改革

上杉鷹山は、藩財政が困窮していた米沢藩を立て直すため、藩政改革を断行しました。その改革は、以下のような内容でした。

倹約令

自らも一汁一菜を心がけ、「麦飯、香物、汁」の3種類だけという徹底ぶりでした。

奥女中の数も50人から9人にするなど、自分から率先していたことがわかります。

家臣達にも自宅の庭に野菜などを作ることを奨励しているなど、コツコツぶりは目を見張るものがあります。

農村の開発

米澤藩北部の水路の開発など、田畑の整備につとめました。

新田開発の奨励なども積極的に行ったようです。

それが現代の米どころのもとになっています。

米の生産量が増えれば、藩の財政は潤うことになるので、重要なポイントですが、それをするにはお金もいるので、苦しい財政の中ではとても思い切った行動だったでしょう。

しかし、鷹山自身も贅沢をしていなかったので、反対はなかったようです。

産業の振興

藩内の領民たちの収入を上げるために、「養蚕、漆、織物」などを中心に地場産業の振興にも力を注ぎました。

これらの産業は今も受け継がれて、特産品になっています。

ベニバナ染めなどが有名ですね。

また紬の産地でも有名です。

教育の普及

鷹山は教育を大事にしました。

教育が藩を立て直すもとだと信じていたと言えます。

藩校を設立し、家臣だけではなく、民にも教育をしょうれいしていました。

自給自足生活

藩民が自分の足で生活できるように、整備し、支援や指導、環境を整えていきました。

これらの改革により、米沢藩は財政再建を果たし、晩年には借金もなくなっていました。

そして米沢藩の経済も発展しまし、米沢藩は、学問や文化の中心地としても栄えました。

驚くべきことに、海のなかった米沢藩では塩の開発が行われました。

なんと海水かたではなく、温泉から塩を生成していたのです。

このような研究もおこなわれていました。

節約だけはなかった

鷹山は節約、倹約だけではなく、藩民のことを第一に考えて、政策をしていました。

時には儒学者などの研究者の知恵をかりたり、自ら野山をめぐり、見分していました。

 

名言・為せば成る

上杉鷹山は、多くの名言を残しています。その中でも有名なものは初めにあげたこの言葉です。

天明5年(1785)、鷹山は隠居します。

義父・重定の四男・治広に家督を譲り、自分はその後見人として藩政をみることになったその時に後継ぎの治広に送った言葉が、先述の「伝国の辞」と呼ばれる

「為せば成る為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

鷹山の残したこの言葉には、人は共感し、そして自分の行動を顧みる人はおおいと思います。

この言葉をビジネスに活かすには

鷹山神社鷹山神社

明確な目標を設定すること

鷹山は明確な目標を設定して、みずから率先して倹約に務め、藩民の生活を一番に考えていました。

「為せば成る」を実践するためには、まず、自分が何を成し遂げたいのか、明確な目標を設定しましょう。

目標がなければ、何を努力すればいいのかわかりませんし、方向性が定まりません。

結果として成果を出すことが難しくなります。

計画的に取り組むこと

どのような計画で鷹山は取り組んだのか今は知ることができません。

しかし、たくさんの学者、藩の幹部たちは知恵を絞り、それ以外の藩士たちは半士半農に誇りをもって、普段は刀をもち、時にはその刀を鍬に変えて、藩や家を盛り立てていったのです。

鷹山や米澤藩士を見習って目標を達成するためには、計画的に取り組むことが必要です。

目標を達成するために必要なことを洗い出し、優先順位をつけて、スケジュールを立てます。

計画に沿って取り組むことで、効率的に成果を出すことができます。

諦めずに努力を続けること

鷹山は17歳(数えで15歳中学3年生です)で家督を継いでから倹約に励み83歳まで倹約生活をつづけました。

家督を跡継ぎに渡した後、藩の財政は復活していたため、生活費の増加を申し出られたそうですが、贅沢を知ってしまえば、それが当たり前になるといって受け取らなかったそうです。

その頃の年齢は72歳ごろといわれています。

17歳から50年以上半世紀にわたって倹約を続けていました。

このことからわかるように、どんな困難な事でも、諦めずにひたすら努力を続けることが大切さがわかると思います。

努力をすれば必ず成功するわけではないかもしれませんが、諦めずに努力を続けることで、不可能を可能にすることもできます。

具体的には、以下のことに取り組むと良いでしょう。

  • 自分の強みや弱みをまずは把握し、自分に合った目標をきめる。
  • 目標を達成するための具体的な計画を立てる。
  • ある程度、教えを受ける必要もある。
  • 計画通りに進まなかった場合に、柔軟に修正する、厳しすぎない計画も重要。
  • 困難に直面しても、諦めずに努力を続ける

 

まとめ

上杉鷹山は、この名言を実践して、米沢藩を立て直したと言われています。

ビジネスにおいても、この名言を胸に、目標に向かって努力を続ければ、必ず成功に近づくことができるでしょう。