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石田三成の旗印「大一大万大吉」の意味と込められた思いとは?

戦国武将が○○だったら
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はじめに

三成の旗印三成の旗印

石田三成は豊臣秀吉の小姓から始まり、最後は関ヶ原の合戦の西軍の大将として立ち、敗軍の将として処刑された人物です。

日本にあって、石田三成を知らない人はほとんどいないでしょう。

歴史をしらなくても、石田三成の名前くらいは聞いたことがあるでしょうし、大河ドラマでは戦国時代のドラマでは必ず登場するキーパーソンです。

徳川家康が主人公の場合は石田三成は敵軍の、敗戦の将ですから、いいイメージは持つ人も少ないと思います。

しかし、少ない資料の中には石田三成の世の中を変えたいと願う、平和を心から期待する三成の生の声に触れることができます。

今回は三成の思いをデザインされた旗印「大一大万大吉」をもとに、三成の思いと、それを現代社会に置き換えて書いていきたいと思います。

 

石田三成のこと

石田三成は有名で、私があえて解説しなくても、このブログを読んでくださっている方は、よくごぞんじかもしれませんが、念のため略歴を書いておきます。

略歴

石田三成は、戦国時代末期から江戸時代初期の武将です。

豊臣秀吉の天下取りに貢献し、主に文官のようなポジションで豊臣政権で力を発揮していました。

秀吉亡き後、豊臣秀頼後見役の五奉行の一人として、政務の実務を担いましたが、徳川家康が天下取りのために画策しているのを知ると、三成は豊臣家を守るために結果的に家康と対立することになります。

最終ステージとして関ヶ原の戦いで三成は敗北し、処刑されました。

三成は、その生涯において、豊臣家の家臣として、また、理想の社会の実現のために、命を賭けて戦った信念の人物だったといえます。

 

三成の旗印「大一大万大吉」の読み方と意味

 

読み方

「ダイイチダイマンダイキチ」と読みます。

 

意味

すべての漢字をばらばらにして解釈します。

「大」とは「天下」「世の中」

「一」とは「個人」「一人の人間」

「大万」は「万人」「多くの人々」

「大吉」は「幸福・平和・安泰」「天下泰平」

という事になります。

 

つまり「一人は万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は天下泰平(幸福(吉))になれる」という意味になります。

 

三銃士の中にも出てくる言葉

三銃士という本をご存じでしょうか。

作者はアレクサンドル・デュマ・ペールです。

その中に隊士のダルタニアンとポトス、アルトス、アラミスの四人が誓いを立てあうシーンのセリフです。

そこでのセリフが

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

とあります。

ちなみに三銃士が発表されたのは1800年、単行本化は1845年です。

 

しかし三成は1600年以前にそんなことを考えていた三成に驚いてしまいます。

 

石田三成の本当の気持ちとは

石田三成は、戦いをなくし、誰もが幸せに安心して暮らせる世の中を築くことを目指していたと考えられます。

まず驚くべきことは、乱世にあって、三成は「助け合いの精神」「相互扶助」という考え方を持っていたという事です。

そして、それを旗印に掲げるという事は、戦に理想を掲げて望んでいたという事になります。

 

関が原で東軍の大将だった家康の旗印は?

晩年の家康晩年の家康

徳川家康の旗印は実は関ヶ原の合戦の前後で変わっています。

関ヶ原の合戦前までは「厭離穢土欣求浄土」という旗印を掲げていました。

「厭離穢土欣求浄土」は、訳すと「穢れた世を厭い離れ、浄土を心から求める」という意味になります。

三成と違いとても現実的です。

家康は戦の中で常に浄土を望んでいたのです。

早く楽になりたいと心から望んでいたことが見て取れます。

家康は、桶狭間の合戦で敗北して岐阜城を退去した後、この旗印の言葉に出会ったとされています。

この旗印の言葉に励まされた家康は、天下統一を成し遂げて、戦乱の世を終わらせることを決意したのかもしれません。

家康と三成、二人が考えていたことと、違う事

 

家康も三成も「戦の世の中を早くを終わらせたい」と願う気持ちは本当だったでしょう。

それは間違いないです。

しかし二人の違いは戦に対して家康は常に現実的でしたし、三成は理想論を常に思い描いiいたかの違いがあります。

 

あくまでも理想に生きた石田三成

三成は仏に仕えて、そこで秀吉に見いだされて、小姓になって出世していきます。

学問を修め、理想を掲げて生きていたでしょうし、青雲の志もあったでしょう。

しかし戦国の世の中で理想だけではいきていけませんし、嫌なものも見てきたでしょう。

殺し合いや、騙しあいも当然あって、そこでは「相互扶助」になるものは何もなかったんじゃないかと思うのです。

 

そう考えると三成の生きた時代は三成にとってつらいものだったでしょう。

せめてあと50年遅く生まれて、徳川幕府の時代に生きていたら、三成自身も、世の中もよかったのになと思えてなりません。

 

石田三成の「大一大万大吉」が今もなお私たちに語りかけるもの

 

もう一度、三成の旗印について考えてみたいと思います。

 

「一人は万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は天下泰平(幸福(吉))になれる」

これは例えば会社なら

「一人は他の社員のために、全社員は一社員のために助け合う、そうして会社は天下泰平(幸福)になる」

と置き換えることができると思います。

 

今の世の中、お互いの足を引っ張ったり、自分の事しか考えていない人があまり多すぎます。

特別なことはしなくてもいいんです。

例えば「ありがとう」「助かったよ」という言葉だけでもお互いの気持ちを優しくしますし、気持ちよく過ごすことができるでしょう。

 

敗軍の将、石田三成が求めたものとは

 

徳川家康の旗印は現実的だと書きましたが、旗印からもう一つ見えてくるものがあります。

それは家康が「結果」に重きを置いた人物だということです。

それは江戸幕府が「過失」に罪の重さを感じる時代だったことを考えると納得できます。

三成も家康もおなじように平和を願っていたことに違いはありません。

「浄土を心から求めている」

これはさっさと戦をやめたい、はやく楽になりたいという直接的な表現です。

 

対して三成は理想を掲げていて、その人生のあり方を問うている内容で「経過」を大事にしていることがうかがえます。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために。それが天下泰平だ」

三成は、みんなのために豊臣家のために理想を掲げて戦い続けていたのです。

 

石田三成は頭脳明晰でしたから、関が原で負けるのはもしかしたらわかっていたかもしれません。

しかしその信念で、三成はどうしても果たさなければならかったのです。

三成は孤立を深めていきましたが、それは彼の言動だけではなく、秀吉の、豊臣家の思いを胸に抱いていたからこそ、敗軍の将になってしまったのではないかと思うのです。

 

まとめ

私たちが「大一大万大吉」を思う時、成果だけではなく、周りの人の声に耳を傾け、受け入れることで、現代に生きる私たちの理想は未来へ向かって天下泰平に穏やかに進んでいくのではないでしょうか。