AIで姓名判断で遊び始めました。
意外にも正確なことが姓名判断の師匠との会話でわかり、ちょっとその遊びを知ってもらいたくなりました。
第一回目は戦国の武将の織田信長。
武将は幼名があり、人によっては何回も名前がかわります。
その変っていく名前と運命はどうなのか、それを知りたくて、知ってほしくて、書いていきます。
織田信長の本名は?
織田信長の本名?って思った方も多いのでは?
実は織田信長のフルネームは…。
『平朝臣織田上総介三郎信長』
です。
ここでは幸田サバ独断で幼名「(織田)吉法師」他人からの呼び名(外向きの呼ばれ方)「織田三郎」家族からの呼び名(内向き・家庭内の呼ばれ方)「織田信長」の3バージョンで書いていきます。
織田信長の幼名は吉法師
幼名の時の運勢はどうだったのか?性格は?才能は?気になって占ってみました。AIが!
ここでは姓名が必要なため、吉法師の時には名字はなかったのですが、あえて姓名としての織田+吉法師で占って分析しています。
幼少期:織田吉法師の場合
名前全体の画数と意味
織田(おだ):17画
織田という意味: 家系や血統、伝統を意味します。
織田家は尾張の戦国大名であり、その家系に生まれたことによる力強さや、領土を守るという使命感が暗示されます。
織田家は平姓を名乗ってはいますが、それは本当かはどうもはっきりしていません。
17画の意味: 多才多能、芸術的才能、リーダーシップを意味します。
吉(きつ):8画
意味: 吉祥、めでたい、幸福を意味します。幼い信長はまわりから幸福な人生を歩いてほしい、明るい未来の望まれていたということですね。
8画の意味: 末広がりで、発展や繁栄を象徴する数字。
法(ほう):8画
意味: 法律、秩序、規律を意味します。将来、社会の秩序を司るような存在になることを期待されていたのかもしれません。
8画の意味: 末広がりで、発展や繁栄を象徴する数字。
師(し):10画
意味: 師匠、指導者、模範となる人を意味します。将来、人々を導くような存在になることを期待されていたのかもしれません。
10画の意味: 完全、円満を意味し、指導者としての資質を暗示する。
五格と吉法師の場合
五格とは姓名判断をする上での決まりごとのようなものです。
人格: 姓の最後の画数と名の最初の画数を足した数で、その人の人格や行動力を表します。
地格: 名の画数の合計で、幼少期から中年期までの運勢を表します。
吉法師の場合
地格: 「吉法師」の全ての画数を足すと、17画+8画+8画+10画=43画となります。
43画の意味と吉法師への当てはめると?
43画は、吉画と言われ、大成する数とも言われています。
特にリーダーシップ、カリスマ性、そして社会的な成功を象徴する数とされています。
吉法師の場合を考えると?
吉法師に当てはめてみると?43画とはどのような解釈になるのでしょうか?
生まれながらのリーダー
43画は、生まれながらのリーダーシップをとれる人物と考えられると思います。
幼少期から周囲をまとめ、指導する才能を発揮するような人物だったんじゃないかなと考えています。カリスマ性をもって人気があり、 人々を惹きつける魅力的な雰囲気を持ち、周囲の人々から慕われていたと考えられます。
またなにかしらの大きな目標に向かって突き進む力:が強い印象があり、織田信長の幼少期と考えるなら天下統一という大きな目標に向かって、周囲の反対を押し切ってでも突き進む原動力のような力を持っていたとするならば、現代につたわる織田信長の印象にあてはまります。
創造性と革新性:も43画にはある性格のようで、 新しいものを生み出す創造性と、古いものを壊して新しい時代を切り開く革新性を持っていたと考えられます。
これは将来の信長像におそろしく当てはまると思いませんか?
吉法師という名の裏の性格
43画は、その強力なエネルギーゆえに、時に周囲を圧倒したり、独断的な行動をとってしまう可能性も示唆します。また、成功にこだわりすぎて、周囲との人間関係を疎かにしてしまう一面もあったかもしれません。
「織田吉法師」という名前の画数から、幼少期の信長は、生まれながらのリーダーシップと、大きな目標=天下統一に向かって突き進む力や感覚を持っていたと考えられます。
また、周囲の人々を惹きつけるカリスマ性も備えていた可能性が高いでしょう。
しかし、その一方で、独断性や周囲との関係を疎かにしてしまう一面もあったかもしれません。
これらの多面的で複雑な性格が、後の天下統一という偉業へと彼を導いたのかもしれません。
外向きの名前の「織田三郎」
現代に伝わる織田信長という名前は信長の生きた時代では、普段から誰でも使える呼び方ではありませんでした。
織田信長という呼び方は天皇か身内のみで、その名前を軽々しく使っては処罰の対象になったとも言われています。
ですから、ここでは外で過ごして、みんなから呼ばれていた「外向きの名前」という考えで、「織田三郎」という姓名判断で考えていきます。
五格と三郎の場合
地格: 名の画数の合計で、幼少期から中年期までの運勢を表します。
外格: 姓の画数の合計で、社会的な地位や名誉を表します。
具体的な画数と計算
漢字 | 画数 |
織 | 12 |
田 | 8 |
三 | 3 |
郎 | 6 |
地格: 12画 + 8画 + 3画 + 6画 = 29画
外格: 12画 + 8画 = 20画
織田三郎の姓名判断による分析
織田三郎という名前の画数やその分析をしてみます。
調べてみると驚きの結果が見えてきます。
地格29画
意味: 大きな目標に向かって突き進む力、カリスマ性、リーダーシップを意味します。
解釈: 織田三郎おいう名前は、非常に強い意志力と行動力を持つ人物であったと考えられます。
リーダーシップに優れ、周囲の人々を惹きつける魅力的な人格を持っていたでしょう。
大きな目標に向かって突き進む力も強く、困難な状況でも諦めずに前に進むことができる人物であったと考えられます。
外格20画
意味: 社会的な成功、名声、地位を意味します。
解釈: 織田三郎は、社会的な地位や名誉を得る可能性が非常に高い人物であったと考えられます。周囲から認められ、尊敬される存在になることができたでしょう。
性格、才能、運命、裏の性格
性格: 非常に強力な意志力と行動力を持つ人物。リーダーシップに優れ、周囲を圧倒するカリスマ性を持つ。一方で、独断的で冷酷な一面も持ち合わせている。
才能: 戦略家、カリスマ性、実行力、改革の精神。
運命: 大きな成功を収める一方で、多くの困難や試練を経験する波乱万丈な人生。
裏の性格: 野心家で、目的のためには手段を選ばない。猜疑心が強く、周囲の人々を常に疑っている。
外向きの運勢としての「織田三郎」
「織田三郎」という名前は、外から見た織田信長を非常に的確に表していると言えるでしょう。
カリスマ性あふれるリーダーとして周囲から一目置かれ、大きな目標に向かって突き進む姿が想像できますし、事実その通りでした。
しかし、その裏には、冷酷な一面や周囲を裏切るような行動も潜んでいたようです。
それは姓名判断かの内容と、史実とが合わさっているようにも見えます。
内向きの名前の「織田信長」
織田信長という私たちがしっているその名前は当時は簡単に誰もが呼んでいい名前ではありませんでした。
使える人間が限られていて、「天皇」「家族」などだけでした。
ゆえに、私たちがタイムスリップして「あ、信長だ~!」なんて呼ぼうものなら、打ち首級の犯罪に匹敵します。
そのわけあって、「織田信長」という呼び方を内向きとしての呼び名として姓名判断をしていきます。
五格と信長の場合
地格: 名の画数の合計で、幼少期から中年期までの運勢を表します。
具体的な計算と意味
地格: 12画 + 8画 + 9画 + 7画 = 36画
姓名判断による分析
地格36画
意味: 大きな目標に向かって突き進む力、カリスマ性、リーダーシップを意味します。
解釈: 織田信長は、家庭内においても非常に強い意志力と行動力を持つ人物であったと考えられます。家族に対してリーダーシップを発揮し、家族全体を引っ張っていく存在であった可能性があります。
性格、才能、運命、裏の性格(家庭内における)
性格: 家庭内では、リーダーシップを発揮し、家族をまとめる存在。一方で、自分の意見を押し通し、家族を振り回す一面もあった可能性も。
才能: 家族をまとめる力、目標達成のための行動力、困難な状況でも諦めない強い精神力。
運命: 家族に対して大きな影響力を持つ存在となるが、同時に家族との間に軋轢が生じる可能性も。
裏の性格: 野心家で、自分の目標達成のために家族を犠牲にすることもあるかもしれない。
家庭内での織田信長
「織田信長」という名前は、家庭内においても、信長の強い意志力とリーダーシップを示唆しています。
家族に対して大きな影響力を持つ存在であったと考えられますが、その一方で、自分の目標を優先し、家族との関係を犠牲にする一面もあったようです。
幸田サバの一考察
姓名判断は以上です。
信長は家族に恨まれていた?
ではその結果をもとに、織田信長の史実と照らし合わせて考えたいと思います。
織田信長とオシドリ夫婦だったといわれる濃姫は本能寺の変で一緒に明智勢に討たれています。
濃姫は明智とは縁続きですし、助けを請えば助かった可能性もありますから、自分から死ににいったと考えていいでしょう。
この二人はよかったかもしれませんが、それ以外の家族は織田信長を恨んでいたのではないかという史実もあるようです。
それは織田信長が建てた城、安土城は身内によって消失させられたと言われているのです。
安土城は織田信長が建てて、かなり愛着のあった城でした。
それを燃やしたのは次男の織田信雄(おだのぶかつ)だと言われています。
次男はあまり出来が良くなくて、信長存命中はひどい扱いをうけていました。
長男の織田信忠(おだのぶただ)は長男として大事に育てられていましたが、それに引き換え次男は。。。事実あまり素行も頭も要領もよくなかったようです。
この信雄犯人説は宣教師の『日本西教史』というものに書かれています。
数々のやらかしをやっている信雄、しかしもしかしたら父親からの積年の恨みが、信長が一番大事にして、精魂込めて作り上げたものをぶっ壊したんじゃないかと思うんです。
さらに、これには秀吉が裏で暗躍していたんじゃないかと(サバの仮説)
実はこの安土城が燃えてしまった事によって、得をしたのは…のちに天下を獲った秀吉じゃないかと思います。
安土城が燃えたのは天守閣で、二の丸あたりの政務を実際にとっていた場所は無傷でした。
しかし、城=天守閣。
天守閣=シンボル。
というイメージは当時もあったようで、天守閣を失った=信長を失ったという構図ができあがります。
過去の権力は消え、新しい権力は仇討ちをした秀吉に移行するという構図が出来上がったんじゃないかと私は思います。
信長という偉大なカリスマを持った武将は家族だけじゃなくて、部下にすら嫌われていたのかもしれません。
まとめ
今回の姓名判断はいかがでしたか?
私は信長が家族からも部下からも愛されていなかったかもしれないという判断に、少し哀れささを感じています。
姓名判断を通して、名前は親が子供に与える一番のプレゼントだと聞いたことがあります。
もし、誰からも愛されるという念を込めた名前を付けられていたら信長という人物はまた違った一生をおくっていたかもしれないと思うと、胸が苦しくなります。
しかし、いまほど認知が広まっていなかったかもしれない…。
信長に聞くことはできませんが、もし聞くことができたなら、「どんな人生を送りたいか?」と聞いてみたいです。
どんな答えが返ってくると思いますか?